こんにちは、江戸張り子のお店 はりこのはやしやです。
今日は、はりこのはやしやが使っている張り子紙について、紹介します。埼玉県小川町に住む張り子紙職人、嶋田重夫様と奥様の実子様の許可を得て、記事にさせていただきました。ご協力、本当にありがとうございました。
小川町で江戸時代から農業と和紙漉きを代々受け継いできた嶋田家。昭和30年、先代が張り子紙漉きに転向して以来、この家にしか無い、独自の手法が今日まで伝わって来ました
張り子紙とは
灰色で厚みのある紙です。古新聞紙を攪拌機で泥状にし、つなぎに楮(こうぞ、小川町周辺ではかずと読む)を2~3割混ぜあわせ、漉きます。その後、天日干しをしたら完成です。
↑玄関を入ると広い土間兼作業場。この手前には、テレビとこたつが置いてあり、奥様の実子様が小川張り子を作っています。古紙と水が混ざった匂いがして、その匂いがとても落ち着きます。
↑上の丸い入れ物の中で撹拌し、下の四角い入れ物に水分を抜いた状態で出てくる。この作業をこなすと呼びます
こなして水分を抜いた状態がこちら。繊維の塊です。
↑②再び水と混ぜる
↑きれいな水の入った漉く場所に繊維を移し、混ぜる。
※この時すくい上げるように混ぜるのがポイントだそうです。
↑↓③漉く
↑④押す
押すための専用の木枠を設置します
↑張り子紙は他の和紙と違い分厚いので、先代があみ出した嶋田家独自の機具でよく押す。
↓張り子紙の厚さには要路によって段階があります。紙の厚さよってはこの枠内がひたひたになることもあるため、押す行為はとても重要なのだそうです。
↑新聞紙を一枚一枚はさみながら重ねていく
↑庭先に乾かす。乾いたら完成です。
↑張り子紙漉きに使う器具は嶋田毛独自のもの
嶋田さんはご自身の作る紙を「うちのは和紙じゃない。不思議な紙」
とおっしゃられていましたが、皆が知っている美しい和紙とはまた違い、
こういったあまり知られていない紙の文化こそ大事なのではないかと私は感じています。
小川町は紙文化の盛んな街で、昔は草鞋に使う紙を生産している職人もいたそうです。
昔は紙はいろいろなことに使われていて、それぞれの用途にあった職人さんが
小川町各地にはたくさんいたのかも知れません。
↑私はここで張り子紙だけでなく、剥がした張り子を張り合わせる反古紙、下地に使う張り子専用のゴフンとニカワも購入しております。
張り子紙今昔……
現在、だるまは機械による真空成形が多くなりましたが、昔は群馬をはじめ殆どの業者が埼玉県小川町の張り子紙を使っておりました。先代の頃は、町内に嶋田家の他にも2軒あったといいます。
その頃一番忙しかった時期は年の暮れで、生産が追いつかないほどだったそうです。
まだ紙が乾いていない状態なのに、取りに来るだるま業者もいて、同業者が鉢合わせすることもしばしば……
時には嶋田家内で張り子紙をめぐる喧嘩が起こってしまうこともあったそうです。
現在、群馬などの大手だるま業者に卸すことがなくなったため、かつてのような事はなくなったそうですが、今でも、下のような手作りによる伝統を守り続ける地域やお店と、取引を続けています…。
●多摩だるま
●山梨の張り子
●高崎のねこや
●春日部張り子
●佐原張り子
●広島の張り子
●はりこのはやしや(←錚々たるメンバーにちゃっかり自分もお邪魔させていただきました)
などなど………
この取材は2012年の時の内容です。
その時は張り子紙の注文が多く、お忙しいなかでの取材だったのですが、嶋田様はとっても優しくひとつひとつの工程を教えて下さいました。
この家へ行くたび、優しい嶋田家の方々に触れるたび、どこか時間がゆっくり流れているような優しい気持ちになります。
土間の外には広い畑。目の前の山には春になると山桜や藤が咲き、
川のせせらぎが聞こえてきて、そこからくる冷たい風で夏でも涼やかです。
日本の美しい風景がそのまま残っている大切な場所です。
嶋田家の方々、本当にありがとうございました。
最後までよんでくださり有難うございます。
また次回のブログ記事でお会いしましょう。
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